停電は、暗闇だけではなかった。
最初の停電は、町全体を襲う大災害ではなかった。 道路が流されたわけでも、山が燃えたわけでも、海が堤防を越えたわけでもない。 ただ、強い雨が降り、風が吹き、古い配電設備が悲鳴を上げ、 小学校の教室の灯りが消えただけだった。
けれど、灯りが消えた瞬間、教室の中では世界が小さく壊れた。 子どもたちは急に自分の席が遠く感じ、窓の外の雨音は大きくなり、 先生の声は少しだけ硬くなった。 誰かが泣きそうになり、誰かが笑ってごまかし、誰かがスマートフォンの残量を確認した。
停電とは、電気が消えることだけではない。 人間が「当たり前」と呼んでいた約束が、急に薄くなることである。 黒板が見えない。トイレが怖い。電話が減っていく。 冷蔵庫が止まる。雨の音が近づく。
暗闇は、光の不在ではない。
安心がどれほど電気に支えられていたかを教える、最初の先生である。
アオイは、カメラを下ろした。
アオイは、その夜、学校で短い記録映画を撮っていた。 テーマは「子どもたちが描く未来の地球」。 壁には子どもたちの絵が並び、青い海、緑の森、黄色い太陽、笑っている動物たちが、 画用紙の中で何の疑いもなく共存していた。
彼女は、その無邪気さを撮りたかった。 大人が壊しかけている地球を、子どもたちはまだ愛せるものとして描いている。 その事実を残しておきたかった。
だが、灯りが消えた瞬間、カメラは重くなった。 彼女はファインダーの中に、泣きそうな子どもの顔を見た。 撮るべきなのか。寄り添うべきなのか。 記録者であることと、人間であることが、初めて真正面からぶつかった。
アオイは、カメラを下ろした。
ヒロは、濡れた作業服で現れた。
ヒロは、その学校に呼ばれていたわけではなかった。 近くの避難所へ向かう途中、校舎の一部だけが真っ暗になっているのを見て、 車を止めた。
彼のトラックには、ポータブルバッテリー、小型インバーター、延長コード、 LEDライト、工具箱、予備のケーブル、そして雨で濡れた軍手が積まれていた。 彼にとって、それは特別な装備ではない。 現場へ行く人間が、いつも持っているべき最低限の道具だった。
ヒロは教室に入ると、誰にも長い説明をしなかった。 先生に一言だけ確認し、窓際の濡れていない場所へバッテリーを置き、 延長コードをほどき、ライトをつなぎ、スイッチを入れた。
教室に、柔らかい光が戻った。