食べものは、地球が人間の体になる瞬間である。
食は、単なる商品ではない。 棚に並ぶ前に、土があり、水があり、太陽があり、微生物があり、 草があり、動物があり、漁船があり、港があり、冷蔵があり、輸送がある。 人間は食べることで、地球の一部を自分の体へ迎え入れている。
だから、食の問題は環境問題の端ではない。 食は、環境問題の中心に近い。 どのように土を扱うか。どのように水を使うか。どれだけ冷蔵に頼るか。 動物をどう扱うか。港をどう守るか。災害時に食をどう保つか。 そのすべてが、文明の脚本を形づくる。
Earth.co.jp の「食」は、罪悪感の章ではない。 食べることを責めるための章ではない。 食べることを、もう一度、地球との関係として考え直す章である。
食卓は、地球の最後の編集室である。
土、水、太陽、電気、労働、命が、そこで一皿になる。
ヒロにとって、食は冷蔵と電源の問題でもあった。
ヒロは、食を見ると冷蔵を考える。 港の冷凍庫、学校の給食室、避難所の食料庫、農場のポンプ、魚の水槽、 牛のミスト、加工場の冷房、輸送中の温度管理。
食は、土から始まるが、電気に支えられて届く。 停電すれば、冷蔵庫は止まる。ポンプは止まる。換気は止まる。 食べものは、腐敗し、廃棄され、人の不安を増やす。
だからヒロは、食を「農業だけの問題」とは見ない。 食はエネルギー、冷蔵、災害、物流、水の問題でもある。 食卓を守るには、食卓へ来るまでの見えない電気を守らなければならない。
アオイにとって、食は記憶と土地の味だった。
アオイは、食を撮るときに料理だけを撮らない。 朝の魚市場の氷、農場の土、雨上がりの葉、牛の息、 台所で湯気を上げる鍋、避難所で配られる温かいスープ。
食べものは、土地の記憶を持っている。 海沿いの町には海の味があり、山の町には水の味があり、 農場には土と草の味がある。 その味が失われるとき、単にメニューが変わるのではない。 町の記憶が、少し薄くなる。
アオイは、食を「人間が地球を食べている証拠」として撮る。 だからこそ、どう食べるかは、どう生きるかと同じくらい重要になる。